
3人の博士
- Irene Dewald

- 1月6日
- 読了時間: 4分
今日は1月6日。昨日から仕事初めで大人たちの殆どが日常に戻り、このエリアでは明日から小中学校の3学期も始まるでしょう。お正月気分も一段落ですね。
我が家では、年をまたいで飾っていたクリスマスツリーを片付ける日。クリスマスがやっと一段落の日です。怠けていたわけではなく、子供の頃からそうしてきた、わたしにとっては普通のこと。朝8時の時点でまだデコレーションがモリモリぶら下がっているツリーを眺めながら、どうやって片付けようか頭の中で工程を考えています。

この「クリスマスツリーを片付ける日」というのは決して、わたしが勝手に決めた掃除のスケジュールではありません。この日がキリスト教の教会暦で公現祭に当たる日であり、12日間続いたクリスマスのお祝いが終わる日だから。キリスト教が歴史的に根付いてきた国々では比較的一般的な習慣のようで、オンライン上にもやたら「1月6日に片付ければいいの?」「いや、1月5日中では?」「いやいや1月6日までは飾って、その翌日の7日に片付けるんじゃないの?」「なんなの?めんどい」というブログやSNSの投稿が見受けられます。そう言われるとわたしもいつ片付けたらよいかよく分からなくなってきた…。明日でもいっか。
ちなみに公現祭というのは、はるか昔の最初のクリスマス、幼子イエスがベツレヘムの馬小屋で生まれた際、お告げの大きな星を辿って旅をした3人の博士が馬小屋にたどりついて贈り物を捧げた出来事を記念する日。教会で子どもたちに伝えられるクリスマスの物語はここまでがセットです。
息子が通ったプロテスタントの幼稚園では、毎年礼拝の中で子どもたちがクリスマス劇を演じます。この春卒園した息子は、昨年3人の博士の1人を演じていたのがとても印象的。折り紙でキラキラに飾った黄金を運び、歌う姿はとても素敵でした…。上手に歌っていたな。
どうしても日本で生きていると、クリスマスはサンタやプレゼント、フライドチキン、ケーキやキラキラのイルミネーションの季節としてまとめられるのが常。なんなら近年は1月6日の公現祭(エピファニー)ですら、フランスの伝統菓子ガレット・デ・ロワを食べる日に変換され、洋菓子店やパン屋さんの商材となって盛り上がる始末。
あ、それはそれで良いと思うのです。楽しいことは取り入れてみよう!というのは、とても日本らしくしなやかな考え方だなと感じます。苦言ではないのです。
ないのだけれど…。国民の1%程度とされるキリスト教徒は、結局のところマイノリティ。ツリーを1月6日まで飾っておく人も、日本中でどのくらいいるかと想像すれば、ほとんどいないのでしょう…。わたしにとっては、いわゆる「普通の日本人」がお正月に初詣に出かけたり、年賀状を送り合ったり、門松を出したりするのと同じくらいに普通の習慣なのですが、マイノリティであることから「変わってるね」「普通とは違うね」となんとなく浮いた存在になるわけです。初詣情報はカジュアルに共有するのに、なんとなく「キリスト教ではね」というのは、別に敬虔な信者であるわけではないのに憚られ、口をつぐんでしまうというのは、無意識な少数派あるあるなのかもしれませんね。
そんなわけでわたしはカトリックという、日本ではマイノリティに当たる価値観のなかで育ちました。外国籍であり、キリスト教徒であり、左利きであり、血液型はRHマイナス、そしてときには女性であること。自分がマイノリティであると感じる瞬間が日々の暮らしの中で時折あります。もっと若い頃はこういった瞬間、社会に対しての怒りを感じていた時期もあったように思います。けれど今は、それこそが強み。ラジオの番組をやっていると(ラジオもマイノリティメディアですね!頑張れラジオー)、沢山のお便りがリスナーさんから寄せられます。人知れず抱えた思いや、悩み、愚痴、喜びなどを共有してくださる皆さん。沢山のマイノリティたちです。その一つ一つに目を通しながら、共感のタネを探していく作業が、わたしにとって1番生きがいを感じる瞬間なのかもしれません。
こんなことをつらつらと書いたところでツリーが片付くわけでもなく…。あぁー、1月6日が終わる前に、早く片付けないとー。もう一年中飾っておくというわたしだけの新しい習慣でも作ろうか?!



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