最近月に一度は新城市の旧門谷小学校の緑のパッサージュに行かないと、なんだか調子が出なくなってしまいました(笑)(旧門谷小学校・緑のパッサージュについては過去のブログをごらんくださいまし)
というわけで6月も無事訪問。はぁーやっぱり落ち着く。週の前半、3日間しかオープンしないこの緑のパッサージュですが、今回も各地から楽しい人が集まり、つくづくアケミさんとトラさん愛されているなぁ、そしてお2人の作る空気感、愛されているんだなぁと癒されました。
ここに来る楽しみの一つは、どなたかしら必ずお友達や、同じ価値観を持った人にお会いできるということ。「ばったり」「意気投合」って偶然の産物であるはずなのに、ここでは不思議と毎回なにやら楽しいencounterがあるから本当にいつも楽しみ。
そして今回は久々に、大いに花祭りの話題で話し込んでしまいました!あぁ満たされた。コロナ禍で全国的にもお祭りが中止の自治体がほとんどというのはもちろんですし、私自身もライフスタイルの変化があり、最後に花祭りを訪問したのが3年半前。祭り好き、というのはよく自分のプロフィールにも書いているのだけれど、最近はちょっと気が引けてしまうほどあまり行けていませんでした。(反省)久々に祭り関連の情報を詰め込んだ脳の一部が活性化された気持ち!
声をかけてくださったのはご実家が豊根村にあるという方。私が花祭り好きというのを知っていてくださって(これがとても嬉しい。「イレーネ?あぁあの花祭り好きな人ね!」って何だか最高の褒め言葉なのですよね(笑))、「今年はどうなりますかねぇ、心配ですね」というところから会話が始まりました。
豊根村の花祭り、大好きです!今はもう休止となって久しい山内の花祭りですが、「休止になる前の最後の花祭りに行く事が出来たんですよね、すごかったですね!」なんてぽろっと話したら、「わたしもいましたぁぁぁぁ!最後までいました!」と。もう10年以上も前の話ですが、あの山内の花祭りは本当に衝撃過ぎて「はっ分かっていたけどこれ本当に神事なんだ・・・憑依ってこういうことなんだ・・・なんなんだこの人間離れした舞は・・・。もはやちょっと怖いぞ!」と終始恐れおののいていました。
そもそも会場にたどり着く事が本当に大変で、道に迷っていつの間にか長野県に入っていたっけ。「絶対違うでしょ、この道・・・もう帰る?どうする?ナビの地図もまっしろじゃん!」細い細い山の夜道、狐やら鹿やらの野生動物たちに見つめられながらやっとの思いでたどり着いたときは、やったー!着いた!というよりも「良かった・・・人の灯りがある・・・これでたすかった」という気持ちの方が強かったです(笑)
(そのとき撮った写真見つけたんですが、びっくりするくらい全部ぶれてました笑)
当時はまだ花祭りに行き始めて日も浅かったですし、おいおいやばいところに来てしまったぞ!というワクワク感と、これが終わってしまうなんて本当にいいのだろうか・・・という漠然とした悲しみもあったと記憶しています。あの山内の花祭りの圧倒的なエネルギーと、翌朝全ての舞や神事が終了した後の皆で頂いたご飯と味噌汁の朝ごはん(私まで、たべりん、とご馳走になってしまった)の身に染み渡る素朴な美味しさ。あのギャップもまた凄くて、愛知県すごいな!そして日本のお祭りすごいんだな、もっと知りたい!感じたい!そしてその祭りが生活の一部になっている人々を知りたいな、と感じるようになりました。
なーんてことを、彼女との会話で走馬灯のように一気に思い出し、熱いものがこみ上げました。いぁー、花祭りって、本当に本当に楽しいのです。祭りそのものや舞ももちろんなんですが、外の町から奥三河を目指すものにとっては、その旅路全てがほんとうに貴重な体験です。花祭りは一晩に何箇所かで開催される事もあるため、そういう場合は一箇所で落ち着くのか、それとも「はしご」して、良き所で夜道をひたはしり移動するのか色々考えたりもしないといけない。最終的に祭りのクライマックスとも言える(もちろんどの舞も神事もクライマックスです)湯ばやしをどこで迎えるのか、それまで起きていられるのか、仮眠はどこで取るのか。どこのご飯がおいしいのか。そういった要素全てが、なぜだか「生きてる!」て感情を呼び起こしてくれるのですよね。(なんなんでしょうおセンチですか)
花祭りに参加する人には全て役割があり、舞やお囃子のみならず、見ている観客にすら「せいとの衆」という名前があったりする。ただ、これまで私の立ち位置としてはいつもせいとの衆ですらなく、ひたすら柱の影から傍観しているような気持ちでした(気持ち悪いですかね)。それって実はあまりよくなかったな、と今になっては思います。もっとアクティブに、お祭り存続のために私に出来る事をするべきではなかったのか。奥三河には、花祭りが好きで通っているうちに地元の方とのご縁で嫁いだ方も結構いらっしゃいます(うらやましかったりする!)し、そう言えばわたしだって、当初は東栄町に移住する手立てはないものかと役場に電話して仕事について聞いてみたこともあったな!!!(当時はまだ地域おこし協力隊という制度もなければ、私には手に職もなにもなく、ちょっと無理があった)。こんなに大好きな花祭り、もっと何か私なりに関わるべきじゃないのか、というちょっとした劣等感もあったりしたのですが・・・
でもこれが私。こうして、少し離れたところからひっそり通い続ける事がとにかく好きで、その思いをシェアする事が好きなのです。学術的な知識すらそんなにあるわけではないけれど、肌で感じて、会話して、味わうのがたまらなく好き。これ以外の関わり方を知らないのでしょう。
地元の人にとっては当然楽しい事ばかりではなく、存続させていくには本当に大変な労力を要するし、気軽に「やめないで!」なんて私が言えることではない。年々「休止」という形を取る地域も少しずつ出てきている中、それもひとつのあり方だと思っていますし、続ければよいというものではない気もしています。
でも、ワクワクするこの想い、生きてる!て感じる鼓動だけは、いつまでも残ったらいいな、とおもっています(というか私のなかには一生あるでしょう)。お祭りの話をしていたら、やっぱりわたし大好きなんだな、と思い出す事が出来て、なんだか嬉しい気持ちになりました。
あれ、旧門谷小学校にいたはずなのにいつのまにか遠いところにいってしまったー!
戻ってこーい!
毎回いろんなことを考えてしまう場所。
また行こうっと。
いれね
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